「仮面ライダー龍騎」
2003年1月25日0:17
他所で書いたやつだから改行グダグダの「エンドロール考」でもまぁこのままで。
それよりもなんか丸っきり見当違いなことを書いてるかもしれないから
そのうち削除するかも(東條くん風)。
物事には100人いたら100通りの解釈があるものだが「龍騎」の最終回はそれが顕著に出ている例だ。でも万人が同じ解釈になってしまうようなわかりやすい展開じゃ面白くないんじゃないか。私のなかではこういう感じに折り合いがついたが見当違いかもしれない。
「龍騎」のやり直しには「タイムベント」と「また繰り返す」の二通りのパターンがあるんじゃないのか。しかも「タイムベント」が特例なんじゃないのか。夏に行われた「タイムベント」は真司くんのスタート時点まで戻った上でまた同じ軸を、多少変化がありながらも繰り返しただけだった。これは「君といた未来のために(日テレ)」と同じやり直し方だろう。時間軸がリング状になっているイメージだ。これに対して優衣ちゃんのいう「また繰り返す」というのはスタート時点から別の軸の時間が平行して存在するその「スタート時点に戻る」ということなんじゃないのか。スタート時点に戻ってまた新しい軸が生まれる。その別の軸で進んでいるライダーバトルが劇場版やテレビスペシャルだ。その平行する軸は互いに多少なりとも干渉しあって存在しているように思う。
そしてあのエンドロールだがあれもその軸のひとつの形だろう。今回のテレビシリーズのライダーバトルのラストシーンは蓮が病院で死んだあの2003年1月19日だ。それではエンドロールはなんなのかというと「2002年にライダーバトルなんていうものがなかった場合の2003年1月19日の風景」だ。それは視聴者が1年間見ていたライダーバトルがなかったことになるのではなくて、あの戦いがあった上で優衣ちゃんが望んだ世界だ。今までは1年の戦いが終わっても士郎にぃさんの望む結末が得られなければ何度でもやり直しが行われていたはずだ。しかし今回は士郎にぃさんではなく優衣ちゃんの願いが優先された。今までだって優衣ちゃんはライダーたちの戦いを望んではいなかっただろう。でもそれは士郎にぃさんには聞き入れられなかった。それが今回は色々な要素が絡み合って「また繰り返す」ではない選択がされたのではないか。それは優衣ちゃんの「戦いをやめさせたい気持ち」がやっとにぃさんに通じたのか、ライダーたちに深く関わりすぎたことで士郎にぃさんの心境に変化があったのか(スペシャルのにぃさんはほとんどバトルに関わっていない。あぁいうパターンもあるのだろう)、それが主人公である真司くんによるものなのか。とにかく「やり直し」のループは途切れた。途切れるためにはやはりあの2002年の戦いと犠牲は必要だったんだろう。あのエンドロールでライダーたちはお互いに面識がない。出会ってもいない。それは寂しいような気もするが1年かけて築かれた関係がなかったことになってしまったのではなく、あの戦いがあったからこそ存在する風景だ。ライダーバトルがあった世界で生まれた絆はなくなってしまったけどまた出会うことはできる。誰も死んでいない2003年でなら。ただこれが全ての終わりなのかどうかはわからない。まだ他の軸で無限ループは繰り返されているのかもしれない。北岡さんの病気や浅倉さんの前科のことも不明瞭なままだ。でもこれが一番“落ち着くところに落ち着いたかたち”なんだろう。
しかしこの2003年に神崎兄妹はいない。いないかたちで落ち着いてしまった。ライダーたちは誰も神崎兄妹のことを知らない。優衣ちゃんは12年前に正常に死んでいる。これが本来の状態なのだとわかっていても悲しい。ただ神崎兄妹はいなくなったわけではない。ミラーワールドも存在する。でもそこはモンスターの住処ではなく神崎兄妹の安息の地だ。士郎にぃさんは12年前のミラーワールドの優衣ちゃんがこちらにくることを制止して、自分たちがあちら側にいくことを選んだのではないか。そこにいる2組の神崎兄妹。奇妙なパラドックスにも思える。でもそれは優衣ちゃんが望んだ状況なんじゃないか。子供たち(それは自分たちでもあるが)を寂しくさせないために一緒に絵を描く。その鏡の向こうの絵がこちら側の世界に与える影響は“ひとを襲うモンスター”ではなく“優衣ちゃんの願うライダーたちの幸福”。この想いはこちら側に届いているんじゃないか。そういう関わり方もあるんじゃないか。
平行するパラレルが互いに干渉することによって人々も影響を受けたはずだ。だから「優衣ちゃんは二十歳になったら消える」という事実はおばさんの中に“心当たり”ぐらいの形で残った。海之ちゃんは「ナイトが勝ち残るパターン」を見たことがあるんじゃないか。それは「タイムベント」のときの真司くんの記憶よりも更におぼろげで、無意識の下のイメージ程度かもしれないけど「占いでわかる将来」ではなく「一度見た未来の記憶」としてどこかにひっかかっていたんじゃないか。だから海之ちゃんは蓮に執着していたんじゃないか。そんな余計なことも考えてみる。
明日から一泊でライダーライブ。一年間楽しませてもらった「龍騎」に最後の御礼詣だ。難しいことは考えないで燃えたり萌えたりしてくる。バカパワー全開で。雪がちらついてたけど新幹線大丈夫かなぁ…。
他所で書いたやつだから改行グダグダの「エンドロール考」でもまぁこのままで。
それよりもなんか丸っきり見当違いなことを書いてるかもしれないから
そのうち削除するかも(東條くん風)。
物事には100人いたら100通りの解釈があるものだが「龍騎」の最終回はそれが顕著に出ている例だ。でも万人が同じ解釈になってしまうようなわかりやすい展開じゃ面白くないんじゃないか。私のなかではこういう感じに折り合いがついたが見当違いかもしれない。
「龍騎」のやり直しには「タイムベント」と「また繰り返す」の二通りのパターンがあるんじゃないのか。しかも「タイムベント」が特例なんじゃないのか。夏に行われた「タイムベント」は真司くんのスタート時点まで戻った上でまた同じ軸を、多少変化がありながらも繰り返しただけだった。これは「君といた未来のために(日テレ)」と同じやり直し方だろう。時間軸がリング状になっているイメージだ。これに対して優衣ちゃんのいう「また繰り返す」というのはスタート時点から別の軸の時間が平行して存在するその「スタート時点に戻る」ということなんじゃないのか。スタート時点に戻ってまた新しい軸が生まれる。その別の軸で進んでいるライダーバトルが劇場版やテレビスペシャルだ。その平行する軸は互いに多少なりとも干渉しあって存在しているように思う。
そしてあのエンドロールだがあれもその軸のひとつの形だろう。今回のテレビシリーズのライダーバトルのラストシーンは蓮が病院で死んだあの2003年1月19日だ。それではエンドロールはなんなのかというと「2002年にライダーバトルなんていうものがなかった場合の2003年1月19日の風景」だ。それは視聴者が1年間見ていたライダーバトルがなかったことになるのではなくて、あの戦いがあった上で優衣ちゃんが望んだ世界だ。今までは1年の戦いが終わっても士郎にぃさんの望む結末が得られなければ何度でもやり直しが行われていたはずだ。しかし今回は士郎にぃさんではなく優衣ちゃんの願いが優先された。今までだって優衣ちゃんはライダーたちの戦いを望んではいなかっただろう。でもそれは士郎にぃさんには聞き入れられなかった。それが今回は色々な要素が絡み合って「また繰り返す」ではない選択がされたのではないか。それは優衣ちゃんの「戦いをやめさせたい気持ち」がやっとにぃさんに通じたのか、ライダーたちに深く関わりすぎたことで士郎にぃさんの心境に変化があったのか(スペシャルのにぃさんはほとんどバトルに関わっていない。あぁいうパターンもあるのだろう)、それが主人公である真司くんによるものなのか。とにかく「やり直し」のループは途切れた。途切れるためにはやはりあの2002年の戦いと犠牲は必要だったんだろう。あのエンドロールでライダーたちはお互いに面識がない。出会ってもいない。それは寂しいような気もするが1年かけて築かれた関係がなかったことになってしまったのではなく、あの戦いがあったからこそ存在する風景だ。ライダーバトルがあった世界で生まれた絆はなくなってしまったけどまた出会うことはできる。誰も死んでいない2003年でなら。ただこれが全ての終わりなのかどうかはわからない。まだ他の軸で無限ループは繰り返されているのかもしれない。北岡さんの病気や浅倉さんの前科のことも不明瞭なままだ。でもこれが一番“落ち着くところに落ち着いたかたち”なんだろう。
しかしこの2003年に神崎兄妹はいない。いないかたちで落ち着いてしまった。ライダーたちは誰も神崎兄妹のことを知らない。優衣ちゃんは12年前に正常に死んでいる。これが本来の状態なのだとわかっていても悲しい。ただ神崎兄妹はいなくなったわけではない。ミラーワールドも存在する。でもそこはモンスターの住処ではなく神崎兄妹の安息の地だ。士郎にぃさんは12年前のミラーワールドの優衣ちゃんがこちらにくることを制止して、自分たちがあちら側にいくことを選んだのではないか。そこにいる2組の神崎兄妹。奇妙なパラドックスにも思える。でもそれは優衣ちゃんが望んだ状況なんじゃないか。子供たち(それは自分たちでもあるが)を寂しくさせないために一緒に絵を描く。その鏡の向こうの絵がこちら側の世界に与える影響は“ひとを襲うモンスター”ではなく“優衣ちゃんの願うライダーたちの幸福”。この想いはこちら側に届いているんじゃないか。そういう関わり方もあるんじゃないか。
平行するパラレルが互いに干渉することによって人々も影響を受けたはずだ。だから「優衣ちゃんは二十歳になったら消える」という事実はおばさんの中に“心当たり”ぐらいの形で残った。海之ちゃんは「ナイトが勝ち残るパターン」を見たことがあるんじゃないか。それは「タイムベント」のときの真司くんの記憶よりも更におぼろげで、無意識の下のイメージ程度かもしれないけど「占いでわかる将来」ではなく「一度見た未来の記憶」としてどこかにひっかかっていたんじゃないか。だから海之ちゃんは蓮に執着していたんじゃないか。そんな余計なことも考えてみる。
明日から一泊でライダーライブ。一年間楽しませてもらった「龍騎」に最後の御礼詣だ。難しいことは考えないで燃えたり萌えたりしてくる。バカパワー全開で。雪がちらついてたけど新幹線大丈夫かなぁ…。
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